【インテリアの歴史】:ペリー来航は重要やで。
インテリアには
\ 『いろんな歴史』がある /




インテリア史を理解するときに、
『鎖国が終わった』ことって超重要ですな?

素晴らしい!!
その通りですよ~!!

1853年ペリー来航による、
『日米の貿易開始』は歴史の転換点です!!
1853年
▼『ペリー来航』▼



西洋のインテリア史も、
日本のインテリア史も、

『ペリー来航』を起点として、
歴史が大きく動いておりますよ!!

何故かそういうの、
誰も教えてくれないんだよなあ~~!!
ついに鎖国が
\ 終わったペリ /




それでは本日のテーマは!!!
『ペリー来航』と鎖国の終焉にしましょう!!

何故そんなことが起きたのか!?
結果どんな影響が生まれたのか!?
……ザックリ全体像を知っておくとよいですよ!!

このあたりって、
『幕末』とか、
『明治維新』とか、
『新選組』とか、
『坂本龍馬』とか、

いろんな味がある時代だから、
いちおう聞いてあげてもいいですよ!!
アメリカ海軍
▼『マシュー・ペリー』▼

《関連記事》
【ペリー来航】:すごく変わった時代背景
インテリアの
▼『カンブリア紀』▼



まずはペリーが来た時代背景!!

1853年というのは、
インテリアのカンブリア紀です!!

『産業革命』は経験してるけど、
『モダニズム』はまだ完成していない、

……試行錯誤の100年のことですな!!

ですです!!

とにかく重要なのは、
『産業革命の後』の時代ってことですね。
産業革命より
▼『後の時代』ですよ▼



まず一つ。

産業革命が起きてるから、
ヨーロッパは商品をたくさん作って売りたいんです。

ほいほい、
せっかくの産業革命を活かしたいもんね。

そのためヨーロッパでは、
『材料の輸入』がしたかったのと、
『製品の輸出』がしたかったのとで、

『in』も『out』も、
めっちゃ貿易したいわ~という欲求が高まっておりました。
めっちゃ貿易
\ したいわ~ /




そしてもう一つ。

産業革命が起きているから、
船舶の性能が上がって交易しやすくなってました。

ペリーさんだって、
『新型の黒船』に乗って来航しましたしねえ。

ちなみにアレは、
『鉄(くろがね)の船』じゃなくて、
『木造船に黒い防腐剤』を塗ってるだけなので、
……アイアンシップだと勘違いしないように。

黒い装甲があるからすごい船なんじゃなくて、
蒸気機関を搭載してるからすごい船なんやで。
『蒸気機関』を
\ 使ってるペリ /




商売の都合からしても、
船舶技術の向上からしても、

西洋諸国はまさに今、
貿易のチャンスという時代だったのですよ。

働きものですな。

ペリーはアメリカ人だから、
彼が直接交渉したのはアメリカとの貿易についてなんだけど、

ペリーの成功を皮切りにして、
……ほかのヨーロッパ諸国も『日本開国』に成功しましたよ。
貿易
\ しまくりよ /



しかもですね。

これらの貿易は、
圧倒的に西洋が有利でした。

聞き捨てなりませんな。

ペリー来航の
ドサクサで結ばれた条約たちは、

いわゆる不平等条約なので、
海外としてはお得だからいっぱい貿易しましたし!!
\ ペリペリ /




開国後の日本って、
廃仏毀釈という仏教アンチ活動をやっていたので!!

めっちゃゴタゴタしてる。

なので『仏教由来』の美術品も、
値打ちが急降下していたんです。

海外から来た人は、
美術品を回収し放題のビュッフェ状態でした。
当時の日本は
▼『仏教アンチ』でした▼



また西洋アートに、
大きく影響を与えたのが『浮世絵』です。

西洋人は浮世絵が大好きで、
まさにエキゾチックな美術品として見ていたのですが。

ですが?

日本人にとっての浮世絵は、
『安価な版画ポスター』みたいなもんなので、

今の感覚で言うと、
ワンコイン500円でおつりがくるくらいの値段だったんです。
\ 庶民の娯楽 /




現代でも有名な、
葛飾北斎の『富嶽三十六景』なんかも、

当時の旅ブームのために作った、
旅行ガイドブックみたいなもんですよ。

安そう!!

でも海外は美術品として見ていたから、
こういうのを良い値段で買ってくれるんです。

浮世絵屋さんだけでなく、
一般人だって、押し入れから浮世絵を出してきて海外バイヤーに売りまくりましたよ。
うちの浮世絵も
\ 買ってよ /




『不平等条約』
『廃仏毀釈』
『浮世絵の買い叩き』
……などなどが一気に重なったため、

ペリー来航からは怒涛の勢いで、
日本美術が海外に流れ込みました。

ダムが決壊したみたいですな。

これじゃ浮世絵がなくなっちゃうよ~と、
心配になった日本の美術商が、

展覧会をひらいて『浮世絵の啓蒙』までしたけど、
けっきょくこの流れは止まらなかったそうですよ。
▼参考文献▼

【浮世絵】
”現代のアニメと同様、かつて浮世絵も町中にある絵双紙屋で20文から30文(現在の約320円から480円)で売られていた。庶民にとっては、かけそば一杯程度の値段で買え、いっとき壁に飾って楽しむ娯楽品だった。”
”そこには人気役者や力士が描かれていたのだから、いまのカレンダーの絵やアイドルのポスターに近い。”
※※※
引用元
【知られざる北斎】
序章 なぜいま「北斎」なのか?
p022より
【ペリー来航】:神秘の国ジャパン
\ フジヤーマ /




そんなこんなで西洋では、
ジャポニスムの大ブームが起きたのですが!!

そもそも当時の西洋にとって、
日本はかなり特殊な立ち位置だったんですよ。

なんで?

ゆーて西洋にとっては、
『おいしい貿易先の一つ』くらいじゃないの?

むかしの西洋諸国にとっては、
日本ってすごく魅力的な『神秘の国』だった背景がありまして。
\ ゲイシャー /




『地球儀』で見れば、
日本の反対ってブラジルだけど、

『航路』で考えると、
日本の反対はヨーロッパなんですよね。

そうなの!?

ヨーロッパをスタート地点として、
お船に乗って『世界を探検』する場合、

西回りでも東回りでも、
日本がいちばん遠いですよ。
航路の
▼『雑イメージ』▼



遠いしずっと鎖国してたから、
日本のことはあまり知られてなかったんだけど、

だからこそ、
「どんな国なのかしら……」と憧れが募りました。

日本に夢見ちゃってたんですな。

だから西洋にとっての日本は、

『ごく一部の良い面』ばかりが見える、
神秘の国だったんですよずっと。
エキゾチック
\ ジャパーン /




それならジャポニスムって、
現代の我々がイメージしてるよりも、

「あの憧れの日本文化が!」
……って感じが強かったんでしょうなあ。

でも実際に日本と付き合ってみると、
だんだん神秘のヴェールが脱げていくというか、

現実も見えてくるし、
目も慣れてくるんですよね。

あらら、ボロが出ちゃうんだ。
\ ホンマか…? /




それが、
決定的になったのが日露戦争です。

そんなの関係あるの!?

日露戦争は
1905年に日本が勝利しましたが、

これにより西洋からは、
「こいつら神秘の国ちゃうやんけ!」
「リアルに存在する脅威やんけ!」
……とだんだん危険視されるようになっていきました。
1904年~1905年
▼『日露戦争』▼




しかもですね。

『1905年』日露戦争が終戦、
『1919年』バウハウスが設立なので、
時系列的にもそろそろモダニズムの時代です。

ああ、
もうそんなところまで来てたんだ。

ジャポニスムってのは、
『日本クラシック文化』をありがたがる趣味だから、

宿命的に、
『日本らしい装飾性』を楽しむものだという性質がありますからね。
イマドキ
\ 装飾か~ /




『神秘の魅力』が薄れてしまい、
『装飾そのもの』も否定される時代になってゆき、

西洋諸国の、
ジャポニスムへの熱狂も沈静化していったのでした。

諸行無常ですな。

ジャポニスムってのは、
『ペリー来航から始まって』
『モダニズムまでに薄れていった』
……短い期間のトレンドだったのね。
\ ノーサンキュー /




ちなみにですが。

鎖国を終了したときから、
日本自身も西洋化を進めていったので。

『明治維新』ですな!!!

なので鎖国の終了を契機として、

日本そのものからも、
『日本らしさ』は薄れていきましたよ。

本当に歴史のターニングポイントやんけ!!
▼参考文献▼

【もっとも遠い日本】
”一八五一年の最初のロンドン万国博覧会と一八五四年の日本の開国は、決して偶然のように踵を接して起きたできごとではない。”
”日本にまで黒船が現れることは、西欧が地球を一回りするまでにその勢力を拡げたということであり、そうした西欧文明圏の拡大が、万国博覧会という企画を生んだのだからである。”
”日本は西欧から東回りでやってきても、西回りでやってきても、もっとも遠い位置に存在したからである。日本の美術・芸術は、そうした時期にもっとも遅れて西欧に到達した異文化としてひとびとの耳目を集めた。”
※※※
引用元
【ジャポニスム入門】
建築-外と内からの日本-
p187~p188より
【ペリー来航】:よかったら覚えてね
超重要な
▼『ペリー来航』でした▼




というわけで!!

インテリアの歴史の中で、
『ペリー来航』というのは超重要で!!

ういうい!!

西洋諸国にとっては!!

歴史上初めて、
ジャポニスムブームが起こった契機であり!!
\ お馬サーン /




また日本視点で考えると!!

『西洋化が始まる』スタート地点であり!!
『日本から日本らしさが抜ける』スタート地点でもあるのでした!!

日本はずっと、
『日本クラシック文化』で暮らしてたけど!!

ペリー来航を機に、
『日本クラシック文化』が抜けていったんですな!!
\ サヨナラ /




ちなみに余談ですが!!
日本開国より『前の時代』にも!!

西洋と多少の交流はあったので、
日本から陶磁器とかが輸出されていたのですが。

なんかアレですな。
オランダと仲良ししてたとかですな。

そんな陶磁器を輸出するときに、
安い日本画を梱包材料として流用したことがあったらしく、

ある西洋人はSSRを引き当てて、
『葛飾北斎の画集』が出たというウワサがあるよ。

ゲキアツ〜!!
▼参考文献▼

【ゲキアツ演出】
”画家・版画家のフェリックス・ブラックモンも、やはり後年の回想によると、一八五六年頃に知人が所有していた北斎漫画の一冊を見かけ、持ち主に譲るように懇願したが断られ、ようやく二年後に入手したが、もともとこれは、日本から輸入された磁器の梱包のための緩衝材に使われていたのだという。”
”彼は数年後にこの北斎漫画を利用して絵皿の原画を描いた。”
※※※
引用元
【ジャポニスム 流行としての「日本」】
第二章 開国のインパクト
p31より
▼参考文献▼















▼参考note▼

note記事
太田記念美術館様
『浮世絵が陶磁器の包み紙として海を渡ったのは本当?という話。』
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ワイは分かりましたよ。